「愛媛県庁舎(愛媛県 松山市)」などの紹介です。
昨年(’24年)12月に2泊3日で相方と2人で「松山」に訪れました。「松山」に訪れるのは’22年10月以来となりますので、ちょうど2年振りとなり、前回の「「萬翠荘」など( ’24年10月 松山旅行-4)」からの続きとなり、旅行3日目、最終日の紹介です。
「松山」には知人が2組いて、先日、紹介させて頂きました様に、1,2日目はその方達とお会いもしましたので、ほとんど観光はしなかった事になります。
最終日はホテルのチェックアウトを14時(通常は11時)まで「IHG(インターコンチネンタル ホテル グループ)」の会員特典で無料で延ばしてもらえたので、少々、観光をすることにしました。
「愛媛県庁舎」は1929年に本館が完成した国の登録有形文化財に登録されている建物です
前回、紹介させて頂きました様に「国重要文化財 萬翠荘(ばんすいそう)」をボランティアガイドさんに案内して頂き、その後も同じボランティアガイドさんに「萬翠荘」近くも案内して頂きました。
名産のみかん(オレンジ)色の路面電車が見られました。この路面電車は「松山市」が運営している「市電」では無く、私鉄の「伊予鉄道」の運営となります。
広告は四国銘菓の「一六(いちろく)タルト」です。「株式会社一六」の本社は「愛媛県 松山市」にあります。「一六」は創業年である明治16(1883)年から来ている事になります。

「萬翠荘」の次に訪れたのは、国の登録有形文化財にも登録されている「愛媛県庁舎(愛媛県 松山市)」となります。1929年に本館が完成し、現役の都道府県庁舎としては大阪府庁舎(1926年)、神奈川県庁舎(1928年)、愛媛県庁舎(1929年)と3番目に古いとの事です。90年以上前に建てられた事になります。
そして「愛媛県庁舎」は「世界の中心で、愛をさけぶ」や「K-20 怪人二十面相・伝」などの映画のロケ地として使われてもいます。

風格のある建物外観及び内部です。現役の県庁舎となり、訪れたのは平日だったので建物の中では皆さんお仕事をされていることになります。
私たちはボランティアガイドさんに案内して頂いたので見学申し込みなどをしないで建物内部に入りましましたが、県庁の案内によると以下の様な記載がありますので、個人で訪れても見学(無料)は可能の様です。
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本館「正面玄関」や2階「ロビー」「県民総合相談プラザ(みきゃんセンター)」及び2階から3階にかけての「階段」は、申し込み不要で見学できます。
※土曜日・日曜日及び祝日は、本館正面玄関内に設置してある「来庁者入館カード」にお名前等を記入してから、見学してください。
(ただし、「県民総合相談プラザ(みきゃんセンター)」は土曜日・日曜日及び祝日は閉館しております。)
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「愛媛県庁舎」内部には歴史を感じさせてくれる「公衆電話」、「エレベーター」、「化石」があります
上の写真の右側に少々、興味深い物がありました。近寄ると「公衆電話」と書かれています。

中にはかつて活躍していたであろう電話機がありました。右側の公衆電話は現役の電話機ですが、このような公衆電話機もかつてに比べかなり街中から姿を消した様に思います。

エレベーターです。建設当初(1929年)からこの場所にあり、当時としては珍しかった様です。現在、稼働しているエレベーターは建設当時の物では無く1970年に設置されたとの事です。それでも50年経過していることになります。

正面玄関のロビーの床は白と黒の大理石で出来ていますが、「アンモナイト」の化石が見られました。
このような建築物の化石はそんなに珍しい訳では無く「東京駅(東京都 中央区)」周囲の「丸の内口地下通路」等でも見られる事になります。

「松山市内」では「夏目漱石」にまつわる痕跡も見られます。
「愛媛県庁」を後にして、その周辺もボランティアガイドさんに案内して頂きました。
夏目漱石が明治28年、英語を教えた「松山中学校跡」です。「坊っちゃん」の舞台になった所といわれます。
現在は「NTT西日本 四国事業本部 愛媛支店」の建物となっています。

そしてこちらは「きどや旅館跡」となります。
明治28(1895)年、夏目漱石が松山中学に赴任した時、初めて泊まった宿として知られています。「坊っちゃん」の中の「山城屋」のモデルとなります。戦災により焼失後、再建されたそうですが、2012年に取り壊されたとの事です。

「愚陀仏庵(ぐだぶつあん)」跡は、夏目漱石が「愛媛県松山市」に赴任していた時の下宿先です。名称は夏目漱石の俳号・愚陀仏に由来します。俳人の正岡子規も居候した時期もあるそうです。
また、「松山市」は俳人の高浜虚子が生まれ育った街にもなりますので、「松山市」は「俳句の街」とも言われ、街中には「俳句ポスト」が設置されています。
ここにあった「愚陀仏庵」の建物は太平洋戦争の戦災により焼失し、1982年(昭和57年)に先に訪れた「萬翠荘」敷地内に復元されていましたが、2010年(平成22年)7月の大雨による土砂崩れで倒壊しました。
現在、別の場所で復元が計画されていて、夏目漱石が「坊つちやん」を発表して120周年となる2026年(令和8年)夏頃の完成が予定されているそうです。

「萬翠荘」敷地内の建物は倒壊してしまいましたが、「萬翠荘」内部に「愚陀仏庵」の模型が展示されていました。

ボランティアガイドさんの約1時間の丁寧な案内にお礼を申し上げ、昼食に向かいました。
’24年10月に訪れた「松山旅行記」は数回に渡って紹介させて頂きますので今後ともどうぞ宜しくお願いいたします
コメント
路面電車が懐かしいです。
行ってみたいなぁ
niceです☆彡
久しぶりに一六タルトが食べたくなりました(^^♪
NICEです👍
nice!です(^O^)/
お邪魔しました。
何故か県庁は風格のある建物が多いです。
こんにちは。
1929年完成の「愛媛県庁舎」ですが、後4年で100年、凄いですね!!
県庁舎として現役で使われている事も素晴らしいです。
また、当時の「公衆電話」のボックスもあり、オリジナル度が高いです。
大理石にアンモナイトの化石ありですが、日本橋三越本店(1935年完成)を思い出します。
見学・訪ねたい場所です!?(=^・ェ・^=)
愛媛県庁舎もちらりと観てくれば良かったと思いました。
松山に行ったといっても、見落としてるものが多いと気づかされます。
おはようございます・・・(^-^)!!
神奈川県の県庁舎も人気ですが愛媛県の庁舎も
歴史を感ずる素晴らしい建物ですね。
伊予鉄の車両が気になります (^0^)!
愛媛県庁舎のレトロな電話ボックスやエレベーターが素敵ですねw
そうですよね。
愛媛は伊予でしたね。
伊予はみかん。
松山は坊ちゃん。
良いところですね。
災害時の連絡用に残されている公衆電話ですが、イーロンマスク氏の
スター・リンクを使って衛星経由で IP電話がかけられるようになり、
あと数年で無くなるような気がしています。
こういう場所にレガシーとして展示を残してほしいです。
アンモナイトの化石がステキですね!!!
愛媛県庁舎は外装も内装もまさに「登録有形文化財」に相応しい建物ですね。
今も庁舎と機能を維持しているんですよね。
日本の古い建物の維持や補修は世界一だと思ってます。
訪問&nice!・有り難う御座います。
愛媛県庁舎・重厚感溢れる作りで良いですね・・・nice!です!!。
今日の郷山は、朝から青空が拡がり・陽射しが降り注ぐ好天に・・・風が強めだが・南寄りなので、夏日の暑い一日に成りそうです!!。
そういえば公衆電話、全然見かけなくなりましたね
東日本大震災以降、増設の話が有ったけど
どうなったんだろう?
市や県などの公共施設に歴史を感じさせる建造物が残されているところが多いように感じます。
歴史を感じさせる建物は県や市などの庁舎に多いように感じます。
愛媛県の県庁の建物は戦前に建てられたものなのですね。
今も現役で使われているところが素晴らしいです。
重厚な雰囲気がありますね。
ナイス!
Nice!
愛媛k県庁舎、まさに文化遺産ですね
見に行きたいぎらいです
(# ̄  ̄)σ・・・Nice‼です♪
松山の記事はかなり後になりそうですが、写真のように県庁に派手なトヨタ車が止まっていました。
Niceです。私も四国には行ったことがあります。
もう一六タルト位しか松山とは繋がれないかな^^
当地では一六銀行に行くという言葉が流行った時代が(不景気の時)
質屋の事を、一六銀行と洒落~~
拝見しました
愛媛県庁舎の重厚な建築や、そこに息づく歴史的な品々は、とても興味深いです。
特に公衆電話や化石の存在には驚きました。
ボランティアガイドさんの案内でより深く学べたのも貴重な経験ですね。
続きの旅行記も楽しみにしています。
夏目漱石って聞くと、大学生だった頃、漱石が亡くなるまで過ごした場所だった漱石公園が下宿先の近くにあったのを思い出します。
夏目坂ってのもあったっけ。
愛媛県庁の建物 すごいですね
一六タルトもにんきですね
路面電車がいいな
重厚な県庁舎ですね
この公衆電話BOXで電話をかけてみたいです
漱石 NICEです じっくりと見ました。
niceです!!👍
こんにちは。
県庁の建物はどこも立派なものが多いですね。
拝見しました。
スゴイですね!現役で活躍されている庁舎!
NICEです(^^)
nice!です(‘∇^d) ☆!!
拝読しました。